グラブルの日課(概要編) 2021/2版

グラブル日課について記載。

まずは概要から。初心者でも自分の必要な日課を考えていけるように、まずは大枠について書きたいと思います。

 

グラブル日課を分類していくと以下のように大きく別れます。

グラブルはバトルをするかアイテム交換をするかしかないゲームですからね。

・バトル

・交換

 

バトルは毎日やるべきバトル、交換はショップから毎日交換するべきものになっていきます。

 

バトルは更に細かく分けるとバトルは以下の様に別れます。

・バトル系

 →自発

 →イベント

   →BP自然回復消費用

   →アーカルム

  

グラブルのマルチバトルは基本的に一番自発が美味しいようになっています。なので必要な武器・アイテムを落とすマルチは毎日自発する必要があるってことです。

(Ex.ヒヒイロカネ目的でアルバハHL、つよバハ)

 

イベントは自発制限があるマニアック、毎日宝晶石がもらえるデイリーミッションの消化ですね。マニアックはイベント用素材が美味しいのでやりましょう。

宝晶石が美味しいのは当たり前の話ですね。

 

BP自然回復消費用はBPは結構回復してあふれるので、BP余ってるときにとりあえずしばくと得するものを考えてみましょう。

 

アーカルムは1日1枚もらえるチケット制かつ30枚までしかチケットが保存できません。つまりチケットがあふれるならやれ、以上です。

今はそれに比べて1日1回だけやるのが最高効率の砂箱ってコンテンツが追加されたんで、それもやりましょう。

 

交換系は以下の様に別れます。

・交換系

 →半汁

 →粉

 →十天衆用素材

 

 

これは大した話ではないので、ここで書いてしまいますが、

半汁と粉はトレジャー交換とカジノを忘れないで交換しようね、というだけの話です。

十天収容の素材はこいつの交換を忘れるな!!!

f:id:n-sekiraku:20210221074132p:plain

 

http://d.hatena.ne.jp/BABYPEENATS/20090626/1245932970
* 一般人が芸能人のような扱いを受けていることへの違和感。
* それをとりまく人間から湧き出る排他性、言い換えれば「内輪な雰囲気」への疎外感。
* これらが生み出す対象の「神格化」への恐怖。

なぜか反対したくなったので自分の考えをまとめがてらエントリにさせてもらいました

まず、一般人が芸能人のような〜、のくだりについて違和感を覚えた
一般人と芸能人を取り立てて区別する必要はないんじゃないかと思う
一般人でも、芸能人でもすごい人はすごいわけ
芸能人と一般人の違いは何か
まず、芸能人は有名になることで食べているってのがある
そこは一般人とはまず違う
そして、芸能人はしばしばテレビに出る
このテレビっていうのはすごいツールでこれで一億を越える人々に芸能人のことが伝わるわけだ
しかし、別に芸能人はテレビに出てるからすごいわけでもなんでもないだろう
その人の業績を見てすごいと多くの人が評価した結果なわけだ
もうひとつは津田さんって一般人なのかとも思う
少なくとも津田大介という人は本を出版したりもしてるし文化審議会著作権分科会に出席していた
ついでにぐぐればwikipediaにもページがある(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E5%A4%A7%E4%BB%8B

普通、wikipediaにページがある人は一般人とは言わないと思う


あとは、単純にこういう発想が出ることに対する恐怖

それをとりまく人間から湧き出る排他性、言い換えれば「内輪な雰囲気」への疎外感。
これらが生み出す対象の「神格化」への恐怖。

排他性、疎外感、さらには「神格化」の恐怖というが今回のtsudaるみたいなことはいつでもどこでも起こりうることなわけでいちいち目くじら立てたり、これこれな風潮が怖いというほどのことではないと思うのだけど
ようは自分とはまったく違う価値観で行動する小集団ができたことに対する恐怖だと思うがいまやネットでは有名人だけが注目される世界ではないということが理解できていないだけなのではないかと思う
今ではいわゆる電通なんかの大手広告代理店が仕掛けるようなマーケティングに対して嫌悪感を抱く人が増えていたり、マスコミの影響力、権威付けの力は下がってきてる
婚活がブーム、なんてのにうそコケ、単に婚活はやらせたいだけだろ、といった感想を抱く人は増えている
こういう世の中ではテレビにでてる有名人だから、って理由で「神格化」が進んだり、取り巻きができることに納得しない、ただテレビでてるだけなのに、みんなもてはやしてる
マスコミで言ってることはなんでも正しいと思っている人がいる

なにそれこわい

とか感じる人もいるはず

そういう人たちは自分たちにとってのマスコミのようなものを別に見つけるだろうし、そこで「有名人」として扱われる人を神格化することは当然のことで、何も怖い風潮だと思うんだけどね

ネット上ではまさに匿名ゆえに議論が成り立たないのではないだろうか

ネットの利点、特に匿名であることの利点は、匿名であるがゆえに反論、あるいは批判を気にすることなく、意見を発表できることにあるのではないだろうか
そして、議論というのはその利点でもある匿名性ゆえにスポイルされるのではないだろうか
仕切る人が必要というのはまさにそのとおりなのだが
このエントリの書き手も認めるように

ただ、ネット上では誰かが仕切ることを嫌う風潮が強く、「議論」のコンセンサスを取ることすらできない状況が多々ありますね。

よってネット上では匿名の場での議論をすることよりも個人個人の立場から他者の意見をもとにその議題を掘り下げていき、その意見を元にさらにほかの人が自分の意見を掘り下げる、という方向に進むのがよいのではないだろうか

初音ミクが売れるわけ

このエントリ読んで

俺は断言するが、あの初音ミクの機械の声を聞いて感動してCDを買う奴は馬鹿だ。これは100%断言できる。

何であれがいいと思うの? なんであれのCD買うの? 本当に分からない。あれ機械じゃん。機械の声だよ? 誰だってあれ聞いて機械だって言うのは一瞬で分かる。それで感動するって本気で馬鹿なんじゃない? 

みんなは初音ミクの歌声に感動するからCDを買うのか?って問題がある
歌自体の巧拙もあるが作曲の巧拙もある
でも初音ミクが売れてるのはそれ以上の理由があると思う
ある程度は初音ミクってキャラクターによる部分があると思う
はちゅねミクという派生キャラが作られたり、ねぎをもってるイメージとかいろいろある
こういうのは作り手と聴き手が数々の動画を見る中で共有してきたもので、それは(ニコニコ動画に投稿してる、聴いてる)俺たちが初音ミクを育てた、という意識につながり、それがCDの売り上げにつながっていると思う

前にもちょっと初音ミクのCDが出た時、ニコニコ動画(こんなもの見たくなかったが)で見たが、なんであんな人気あるんだろう。あとついでにその初音ミクの曲を人間が歌ってるのも見た。これならまあ100歩譲って納得できなくもないが、ただ当然プロの歌手とは比べるのも失礼な程だし、無料ならまあ一回聞いてもいいかな、という程度だ。何回も聞くほどではない。ただコメントは絶賛の嵐。アホか。本物を知らないニートばっかなのかあそこは。ろくなもんじゃないな。

さらには、プロの歌手と比べてもうまいと思われてるからニコニコで賞賛されてるのか?
単に俺らの中にはプロには負けるかもしれないけどかなり歌がうまいやつがいるんだぜ?ってレベルで賞賛されてるんではないだろうか?
同じ歌唱力のやつがジャニーズとかで出たら馬鹿にするやつは多いと思う
プロ並み、ってほめ言葉が使われることもあるけど、どこまでそれをみんな本気でいってるかは怪しいものだ

http://anond.hatelabo.jp/20090308152436

購入者は努力に対して金を払ったりはしない。

自分がほしいものを買うだけだ。

悲しいけどこの意見は正しいと思う。何が正しいかより何が自分を満足させてくれるかで考えればこういう意見が出てくるのは当然だ
そして実力がなければ見向きもされない世界でがんばってるから努力してるから、苦しい思いをしてるから日の目を浴びたときそのエピソードをしった人はさらに感動するのではないだろうか

なぜ文化は殺されるのか 「最近の若者は日本の文化を殺そうとしているのではないか」 を読んで

まず初めにこのエントリは極論を書いてるということでよろしくお願いします

最近の若者は日本の文化を殺そうとしているのではないか
http://anond.hatelabo.jp/20090308235742

このエントリでは今金が支払われてないものだけを文化としてくくってないか?
たとえば、ライトノベル、漫画、小説でもミリオンヒットは出てる。
昔に比べれば少なくなっていたり、立ち読みしてるだけの人なんかはいるが、もはや、作品というよりは作家のファンになっていて、信者の間ではお布施、言われるようなお金の使い方をする人がいる
これは若者が作り出している文化とはいえないのか?そしてこういった若者は文化を支えているとはいえないのか?
若者は〜ってまとめ方にも違和感ある
若者の中にも対価を払わない人を毛嫌いする人はいるはず
実際に友人にも、この漫画、ゲーム、小説、ラノベ好きだよ、俺ファンだよ、っていってるのに金払って買ってないやつは絶対に許せない、って考えてる人はいます
最近ではその傾向がさらに強まって、中古で買うことも許せない、という意見になっている
そんな彼はいま絶版になってしまったものの扱いについて悩んでいるようですが・・・

あとなんで急に歌舞伎とかクラシックとかオペラとかに話が飛ぶのかわからい
このエントリは、本来対価を払うべきものにたいして対価を払わず、その行動を正当化する若者に向けたものだと思ったからだ
こういう、なんか高尚な感じがする増田が文化と呼びたがっているものは長らく、上流階級の人たちによって支えられているたんじゃないかな?
そう考えれば、ごく普通の若者、たとえば、増田の妹なんかが歌舞伎、バレエ、クラシック、オペラ、はっ、私には関係ないよ、廃れるなら廃れればって態度をとるのは異常なことでもないし、それが日本が崩壊することにつながることにはならないと思う。
ほとんどの人は自分の社会的な地位にふさわしいと考えられている行動をとるものだから。
あと、昔の大学生は、高校生はうんぬんかぬん、もっと文化を大切に〜っていう意見を持つ人がいるかもしれないけど、昔(ほんとに昔になるけど)は大学や高校生は若者のうちのほんの何パーセントの選ばれたエリート集団だったってことをわすれないでほしい。
大して昔ではない高度経済成長のときいは中学を卒業した若者たちが金の卵ともてはやされていた